中野君の傘

2001年6月23日
雨が降ると傘をさす。
傘をさすとおいらはふと『中野君の傘』の話を思い出す。

それはある日、仕事から帰ってきたおいらに母が言った一言であった。
「中野君ちゅー子が、傘を取りに来たら玄関にある黒い傘を返してあげといて欲しいねん。玄関先に置き忘れてあったんで、保管しておいてあげよ、おもて。」
たいてい置き忘れた傘を取りに来るヤツはいない、と思ったが、おいらの母親は底抜けに人の良いところがあるので、素直に「わかった」と言っておいた。
ただ、わからぬこともある。
「なぁ、持ち主の名前って、なんでしっとんの?」
「傘に書いてあってん!柄の所にな『ナカノヒロミチ』君って!せやから、ヒロミチ君が取りに来たら返したってな!」

・・・来ない・・・
・・・ヒロミチ君はきっと取りに来ない・・・

というか、落とし主がナカノ君やヒロミチ君の可能性はあるかもしれないけれど、ナカノヒロミチ君の可能性はあからさまに低い・・・。
そしてきっと取りに来ない。

「おかあちゃん・・・ナカノ君なぁ、きっと取りにこうへんで・・・」
「なんでや?結構いい傘やで?ネームプレートまで貼り付けてる傘やん?大事にしている傘やって、絶対!」
「ほな、傘広げて見?たぶんどっかに名前書いたはるで?ヒロミチ・ナカノって。おかあちゃんのモリハナエの傘みたいにな。」

母はしばらく得心いかぬ様子であったが、ようやく『ナカノヒロミチ』と言う名のデザイナーがこの世に存在することを理解し、中野君の訪問がないことを認識した。
しかし、それまで母親は心底中野君のことを心配していたのだ。
雨に降られなかっただろうか、こんな大事な傘を置き忘れてご両親に怒られなかっただろうか、そもそも彼自身が悲しんでいないだろうか・・・と。

大丈夫!大丈夫だよ、お母さん!
ナカノ君は、全然まったくからっきし平気だよ!
ちゅーか、その傘の存在すら知らないぐらいだよ!

そして、今日も雨が降る・・・。
中野君の傘は、傘をなくしたおいらが有効に使っている。
傘を開きながら、おいらはひっそりと、中野君のことを思い出す・・・。
中野君、安心してくれ。
君のなくした傘は、おいらが大切に使っているよ・・・と。

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